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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)763号 判決

原告

青木由理子

被告

三木誠一郎

ほか二名

主文

一  被告らは連帯して原告に対し、金三〇一万九七九六円及び内金二七四万九七九六円に対する昭和六〇年二月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。

四  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは連帯して原告に対し、金三七六五万〇九八五円及び内金三六一五万〇九八五円に対する昭和六〇年二月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、交差点にかかる横断歩道を横断中の自転車運転者が交差道路を走行してきた自動二輪車に衝突され、その衝撃ではねとばされて交差点中央付近に転倒したところをさらに普通乗用自動車に轢過され負傷したという交通事故につき、自転車運転者が自動二輪車の運転者兼所有者(右事故当時未成年者)及びその父親並びに普通乗用自動車の運転者兼保有者に対し、それぞれ自賠法三条に基づき(なお、右三名は共同不法行為責任を負うとする)、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

次のとおりの交通事故(以下、「本件事故」という。)が発生した。

1  日時 昭和六〇年二月一四日午後一〇時四五分ころ

2  場所 大阪府池田市天神一丁目二一番一号先交差点(以下、「本件交差点」という。)

3  加害車両(一) 自動二輪車(大阪や七六四七、以下、「三木車」という。)

4  右運転者 被告三木誠一郎(以下、「被告誠一郎」という。)。なお、は三木車は被告誠一郎が購入したものではあるが、被告誠一郎は、本件事故当時一九歳の大学生で、その父親の被告三木研次(以下、「被告研次」という。)と同居していた

5  加害車両(二) 普通乗用自動車(奈五五り二三二七、以下、「矢尾車」という。)

6  右運転者 被告矢尾賢司(以下、「被告矢尾」という。)

7  被害者 原告

8  態様 本件交差点に向かつて北進中の三木車が、本件交差点南詰横断歩道上を西から東に向かつて進行していた原告運転の自転車と衝突し、原告を本件交差点中央付近まではねとばした(以下、右事故を第一事故」という。)。

さらに、本件交差点に向かつて東進し、本件交差点を直進通過しようとしていた矢尾車が、第一事故により本件交差点中央付近に転倒していた原告を轢過した(以下、右事故を「第二事故」という。)。なお、第二事故直前に、交差点中央付近に原告が転倒しているのを見て、訴外坂本昭(以下「坂本」という。)が矢尾車を停止させるべく、本件交差点北東方向から同車に向かつて手を上げながら走つてきたが、被告矢尾は、坂本の右所為を理解できず、坂本の意図とは逆に制動措置を講じないままハンドルを右に切つたため、原告を轢過したものである。

二  争点

1  被告研次の運行供用者責任の有無

原告は、〈1〉被告研次は、被告誠一郎の父親であり、被告誠一郎と同居し、三木車も常時被告研次方において保管されていたものであるから、被告誠一郎を監督し、三木車を管理しうる立場にあつたこと、〈2〉被告誠一郎は、本件事故当時大学生であり、独立の生計を営む能力を有していなかつたのであるから、被告研次の扶養がなければ生活できず、三木車の取得、維持管理費も被告研次の負担に帰するものであつたことに基づき、被告研次も三木車の運行供用者として自賠法三条に基づく損害賠償責任を負う旨主張する。

これに対して、被告研次は、三木車は被告誠一郎が自らアルバイトをして得た収入で購入し、日常の維持費、燃料費も被告誠一郎が負担していたものであつて、被告研次は三木車の運行供用者の立場になかつたものである旨主張する。

2  被告誠一郎及び被告研次関係

(一) 過失相殺

被告誠一郎及び被告研次は、原告はその対面信号が赤色を表示(なお、三木車の対面信号は黄色を表示)していたにもかかわらず、急いでいたため前側方不注視のまま横断を開始したものであつて、原告にも本件事故発生につき過失があるから、大幅な過失相殺がなされるべきである旨主張する(なお、原告は、自らに三割の過失があることを自認する。)。

(二) 第一事故と損害との間の相当因果関係

被告誠一郎及び被告研次は、第一事故後、被告矢尾がハンドルを右に切つて原告を轢過するなどということは、通常の予測を超える事態であつて、第二事故の結果生じた損害は、被告矢尾の行為によつて因果関係が中断されることになり、右損害と第一事故との間には因果関係がない旨主張する。

3  被告矢尾関係

免責ないし過失相殺

被告矢尾は、第二事故は、矢尾車が本件交差点を西から東に直進通過しようとしていたところ、第一事故により原告がはねとばされて本件交差点中央付近に転倒し、突然矢尾車の直前に現われたことにより発生したものであり、被告矢尾において、本件現場のような幹線道路の交差点内で、車両の通過する直前に横臥する者のあることを予見することは不可能であり、このことに、第二事故直前に坂本が本件交差点北東方向から矢尾車に向かつてとび出してくる様子であつたから被告矢尾において、坂本の方に注意を奪われ、横臥している原告に気がつかなかつたとしても無理からぬことであつたことを併せて考えると、被告矢尾には過失がなかつたというべきであり、さらに、矢尾車には構造上の欠陥や機能上の障害もなかつたから、自賠法三条但書の免責が適用されるべきである旨主張する。

また、被告矢尾は、仮に過失があるとしても、第一事故によつて認められる原告の損害賠償請求権(第一事故における原告の過失を相殺した後のもの)から、さらに、幹線道路の交差点中央付近に横臥していた者を轢過した場合に適用されるべき過失割合に従つて、過失相殺をすべきである旨主張する。

4  被告ら三名につき共通の争点

損害額。その主要な点は、次のとおり、後遺障害の程度及び逸失利益の有無である。原告は、骨盤骨の変形(後遺障害等級一二級五号)、脊柱に著しい奇形(同六級五号)、両下肢の各関節の著しい機能障害(同一〇級一一号)、女子の外貌の著しい醜状(同七級一二号)等の後遺障害が残り、これらによる労働能力の喪失率は九二パーセントであると主張するのに対し、被告らは、原告の後遺障害は、せいぜい併合一〇級に該当するのにとどまり、しかも、原告は、元の職場に復帰し、現実には損害が生じていないから、後遺障害による逸失利益は生じない旨主張する。

第三争点に対する判断

一  争点1(被告研次の運行供用者性の有無)について。

1  前記争いのない事実に根拠(甲一の八、検甲二の一ないし三、検乙一、二、被告三木研次本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告誠一郎(昭和四〇年五月五日生、本件事故当時一九歳)は、本件事故当時大阪経済法科大学の学生で、父親である被告研次(会社員)ら家族と一緒に被告研次方で同居し、起居寝食をともにしていた。

(二) 三木車は、本件事故前の昭和五九年に、被告誠一郎が友人から代金二〇万円で購入していたものであるが、その代金は一五回払いのローンで支払うことにし、そのローンの支払いについては、被告誠一郎が中華料理店でアルバイトをして得た収入をもつてこれに充てていた。

(三) 三木車は、主として被告誠一郎の通学目的で購入されたものであつたが、その購入に際しては、被告誠一郎は被告研次に承諾を求め、これに対して被告研次は、当初購入に反対していたものの、通学に必要ということを言われたので、気をつけて運転するようにとの注意を与えたうえで、その購入を認めた。そして、右購入後、三木車は、被告研次方玄関前の敷地内に駐車して保管されていた。

右購入後も被告研次は、夕食の際などに折にふれて被告誠一郎に対して、安全運転を心がけるように注意していたが、被告誠一郎が本件事故までに定員外乗車等で合計四回の交通違反を犯していることは知らなかつた。

(四) 被告誠一郎は、右のとおり、学生のかたわらアルバイトをしていたものであるが、そのアルバイトによる収入を被告研次一家の家計に入れたりすることはなく、また、被告誠一郎の学費(年間金約一二〇万円)は被告研次が負担しており、被告誠一郎の生活(食住)自体、完全に被告研次の援助の下にあつた。

2  以上の事実に基づき検討するに、三木車(その登録名義人は証拠上判然としない。)は、被告誠一郎が通学目的で購入し、その代金は被告誠一郎のアルバイト収入をもつて充てたものではあるが、被告誠一郎は、本件事故当時一九歳の大学生で、その父親の被告研次らと同居し、学費はもとよりその生活自体被告研次の援助の下に成り立つていたもので、被告誠一郎が三木車を購入しえたのも、右援助があつたればこそ可能となつたものと考えられること、被告研次は、被告誠一郎が三木車を購入するに際して承諾を求められ、一旦反対したものの通学に必要ということでこれを承諾し、その後も折にふれて被告誠一郎に対して安全運転を心がけるように注意したり、三木車を被告研次方玄関前の敷地に駐車させてこれを保管していたものであり、これらのことからすると、被告研次は、三木車の運行を事実上支配管理することができ、被告車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視、監督すべき立場にあつたと考えられることを総合すれば、被告研次は、被告誠一郎とともに、自賠法三条所定の自己のために自動車を運行の用に供する者(運行供用者)にあたるものと解すべきである。

そうすると、被告研次も、三木車の運行によつて生じた原告の後記損害を賠償する責任がある。

二  争点2及び3について

1  事実

前記争いのない事実に証拠(甲一の一ないし一三、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場付近の道路状況は、別紙図面記載のとおりであり、本件交差点は、車道の幅員二二・二メートルの東西道路(東行三車線、西行は本件交差点東詰で三車線、西詰で二車線。最も中央線寄りの東行車線を、以下、「東行第三車線」という。)と北行車線の幅員六・九メートルの南北道路(本件交差点南詰で北行二車線、南行車線もある。中央線寄りの北行車線を、以下、「北行第二車線」という。)の交差する、信号機によつて交通整理の行われている交差点である。

第一事故地点(別紙図面記載の〈4〉〈イ〉地点、以下、○で囲んだ記号は、別紙図面記載の地点を表わす記号を示す。)は、本件交差点南詰横断歩道(幅員四メートル)上で、北行第二車線延長線上の地点であり、第二事故地点(〈ウ〉)は、本件交差点中央よりやや北側で、北行車線と東行第三車線の南端線のほぼ延長線の交差する付近の地点である。

なお、右各道路は、アスフアルト舗装のなされた平坦な道路で、本件事故当時路面は乾燥していて、制限速度は、時速四〇キロメートルに制限されていた。また、本件事故当時は夜間であつたが、本件交差点付近は照明により明るかつた。

本件事故当時の車両の交通量は、南北道路、東西道路ともに少なく、本件交差点付近では、三木車、矢尾車の他には走行車両はなかつた。

(二) 被告誠一郎は、後部座席に女友達を乗せて三木車を運転し、時速約五〇キロメートルで、本件交差点に向かつて南北道路北行第二車線上を北進していたが、第一事故地点の南側約四二・八メートルの地点(〈2〉、本件交差点南詰停止線の約二七・七メートル南側)にさしかかつた際、本件交差点の対面信号の表示が青色から黄色に変わるのを認め、その地点でブレーキをかければ、本件交差点南詰停止線付近までに十分に停止することができたが、対面信号が黄色を表示している間に本件交差点に進入してこれを直進通過しようと考え、前記地点でアクセルグリツプを回して時速約七〇キロメートルに加速して、本件交差点に向かつて進行していつた。

そして、三木車が第一事故地点の約一五・四メートル南側の地点(〈3〉、ほぼ本件交差点南詰停止線付近)にさしかかつた時、被告誠一郎は、第一事故地点の西方約三・六メートルの本件交差点南詰横断歩道上の地点(〈ア〉)に、原告運転の自転車が、ゆつくりと右横断歩道上を西から東に向かつて進行しているのを認め、衝突の危険を感じて急制動の措置を講じたが間にあわず、第一事故地点で、三木車の前部を原告運転の自転車の右側面に衝突させた。

右衝突後、三木車は、第一事故地点の約四八メートル北方の地点(〈5〉)に停止したが、原告は、右衝突により北方にはねとばされ、第一事故地点の約一七・五メートル北側の第二事故地点(〈ウ〉)に転倒した。

(三) 本件交差点北東角付近の歩道上(〈甲〉)に立つていた訴外坂本は、第一事故直前に、三木車がバリバリというエンジン音を鳴らしながら、本件交差点に向かつて北進しているのを認め、少し目を離した後、再度三木車の方向を見た際に、第一事故地点で、三木車と原告運転の自転車が衝突したところを目撃した。そして、その瞬間に、本件交差点南詰の南行車両の対面信号機を見たところ、右信号は黄色を表示していた(なお、本件事故当時、本件交差点の南行車両用信号と北行車両用信号は、同一周期で同一の表示をしていた。)。

坂本は、原告が第一事故によりはねとばされて、第二事故地点に転倒したのを見て、同人を助けに行くべく、本件交差点北詰横断歩道を西方に向かつて渡ろうとしたが、その際、東西信号の表示は青色に変わつていた。

そして、北詰横断歩道を半分程渡り、右横断歩道の南端線をやや南側に越えた付近の地点(〈乙〉)に達した時、坂本は、第二事故地点の約三〇・八メートル西側の東行第三車線上(〈B〉)を走行中の矢尾車を認め、このまま矢尾車が直進進行すれば原告を轢過してしまうと考え、矢尾車の方向に向かつて両手を上げ、矢尾車に対して、停止するように合図を送つた。

しかし、矢尾車は、そのまま速度を落とすことなく本件交差点に進入し、第二事故地点で原告を轢過した。

(四) 被告矢尾は、矢尾車を運転し、前照灯を下向けに照射させて、時速約四〇キロメートルで本件交差点に向かつて東西道路東行第三車線を東進し、第二事故地点の約五四・四メートル西側(〈A〉)にさしかかつた際、対面信号の表示が赤色から青色に変わるのを認め、さらに第二事故地点の約一五・二メートル西側の地点(〈C〉)に達したとき、前記〈乙〉地点付近から人(坂本)が矢尾車の方向に走り寄つて来るのを認め、危い人だと思い、ブレーキペダルに足をのせたものの、ブレーキは踏まず、ハンドルを軽く右に切りながら進行したところ、第二事故地点において、その場に転倒していた原告を、矢尾車車体底部で轢過して、約六メートルひきずつたが、被告矢尾は、轢過するまで原告には気が付かず、轢過後も何がにぶつかつたと感じてブレーキを踏んだが、第二事故地点の約四四・二メートル東側(〈E〉)に停止するまで、人(原告)を轢過したことに気が付かなかつた。

(五) なお、本件事故後の昭和六〇年四月一三日の午後一〇時一五分から、被告矢尾立会の下に、視認実験を目的とする実況見分が行われたが、その結果によれば、矢尾車運転席に搭乗した被告矢尾において、第二事故地点の三一・七メートル西側の地点で、道路照明により、第二事故地点に置かれた黒い作業着をかぶせた幅三〇センチメートル、長さ四〇センチメートル、高さ二〇センチメートルのダンボール箱を視認することができ、また、第二事故地点の一六・七メートル西側の地点まで至ると、矢尾車の前照灯(下向き)が右ダンボール箱を照射した。

2  判断

(一) 争点2(一)(被告誠一郎及び被告研次関係の過失相殺)並びに争点3(被告矢尾関係の免責ないし過失相殺)について。

(被告誠一郎及び被告研次関係)

(1) 右事実によれば、被告誠一郎は、本件交差点の南詰停止線の約二七・七メートル手前で、対面信号が黄色を表示しているのを認めたのであるから、このような場合、車両運転者としては、停止位置に近接していて安全に停止しえない場合を除いて、停止位置を越えて進行してはならない義務がある(道路交通法施行令二条一項)というべきところ、前記のとおり、被告誠一郎が対面信号が黄色を表示しているのを認めた地点で制動措置を講じれば十分に停止線付近までに停止することができたにもかかわらず、被告誠一郎は右措置を講じず、却つて、制限時速を約三〇キロメートル超える時速約七〇キロメートルに加速し、原告運転の自転車が第一事故地点の西方約三・六メートルに達するまで右自転車に気付かないなど前側方不注視のまま本件交差点に進入しようとして第一事故を発生させたもので、被告誠一郎には、右の点に過失があるといわなければならない。

(2) しかしながら、他方、前記事実によれば、原告も、東行対面信号が赤色を表示しているにもかかわらず、自転車を運転して本件交差点南詰横断歩道を横断した(但し、自転車はゆつくりとした速度であつた)ものと認めるのが相当であり、原告にも右の点において、第一事故発生につき過失があるといわなければならない。

(被告矢尾関係)

(3) 前記事実によれば、第一事故後、東西車両信号の表示が青色に変わつた時点では、既に原告は第二事故地点に転倒していたと認めるのが相当であり、その時点で矢尾車は第二事故地点の約五四・四メートル西側を走行しており、このことに、本件事故後に行われた実況見分の際に、被告矢尾において、第二事故地点の三一・七メートル西側の地点で、道路照明により黒い作業着をかぶせた第二事故地点のダンボール箱を視認することができたことを併せて考えると、本件事故の際も、矢尾車が第二事故地点の三一・七メートル西側付近の地点に達した時には、被告矢尾において、前方を十分注視していれば、第二事故地点に転倒していた原告を発見することが可能であつたというべきである(なお、被告矢尾は、原告を発見しえなかつた事情として、第二事故直前に坂本が矢尾車の方に向かつてとび出してくる様子であつたから、坂本の方向に注意を奪われたことを挙げるが、被告矢尾が坂本を発見したのが第二事故地点の約一五・二メートル西側であるのに対し、第二事故地点に転倒していた原告を発見することが可能な位置は、前記のとおり、第二事故地点の三一・七メートル西側付近であることからすれば、被告矢尾は、坂本を発見する以前に原告を発見することが十分可能であつたというべきであり、これを発見していれば、仮に、倒れていた原告を人が倒れているものとまで認識しえなかつたとしても、坂本の所為の意味することが、第二事故地点に転倒しているものは、轢過してはならないものであるということを理解しえたはずであり、以下のとおり、容易に第二事故を回避しえていたものと考えられる。)。

そして、一般に時速四〇キロメートルで走行中の四輪自動車の乾燥アスフアルト道路における制動距離、空走距離は合計約二〇メートルと考えられるから、被告矢尾において、第二事故地点の約三一・七メートル西側の地点で、第二事故地点に転倒していた原告を発見していたならば、制動措置を講じることによつて十分に第二事故は回避しえたというべきであり、また、被告矢尾において、若干発見が遅れたとしても(あるいは、転倒していた原告を人が倒れているものとして認識するのに若干時間がかかつたとしても)、第二事故当時の本件交差点付近の状況(道路の幅員、坂本以外の人や通行車両がなかつたことなど)からすると、ハンドル操作をするか、ハンドル操作とブレーキ操作を併用することにより、容易に第二事故を回避しえたというべきである。

しかるに、被告矢尾は、前方注視を怠り、ことに坂本を発見した後はその方向に気を奪われて、第二事故地点に転倒していた原告を発見することができず、何らの回避措置をとることなく(むしろ、坂本を避けるべく第二事故地点の方向に向かつてハンドルを軽く右に切つてしまつた。但し、右ハンドル操作がなければ轢過していなかつたか否かは判然としない。)、原告を矢尾車車体底部で轢過したものであり、被告矢尾には、この点において前方不注視の過失があるというべきである。

そうすると、被告矢尾の過失の不存在を前提とする同被告の免責の主張は失当であるというほかはない。

(4) しかしながら、第二事故の発生については、原告が第二事故地点に転倒していたこともその原因になつており、原告が第二事故地点に転倒するに至つたのは、原告が対面信号が赤色を表示しているにもかかわらず自転車で横断歩道を横断した過失も一因として発生した第一事故の結果であつたのであるから、第二事故の発生については、原告の右過失もその一因となつているというべきである。

(過失割合について)

(5) 右のとおり、第一事故については被告誠一郎に、第二事故については被告矢尾にそれぞれ過失があり、第一事故と第二事故とは時間的、場所的に近接していて、このことからすると被告誠一郎の行為と被告矢尾の行為との間には関連共同性があり、両者は共同不法行為であるというべきところ、被告誠一郎及び被告矢尾の右各過失と原告の前記過失の内容、程度を対比し、前記認定の本件事故現場付近の状況、第一事故及び第二事故の態様等を総合して考えれば、本件事故発生についての原告の過失の割合は四割と認めるのが相当である(なお、被告矢尾は、第一事故における原告の過失を過失相殺した後、さらに第二事故における原告の過失(路上横臥)を過失割合に従つて過失相殺すべきである旨主張するが、前記のとおり、第二事故地点に原告が横臥(転倒)していたのは原告の赤信号横断の過失が一因となつて発生した第一事故の結果であつて、原告の路上横臥を右赤信号横断と別個の過失として独立に評価するのは相当といい難い。そうだとすると、被告矢尾が主張するように、第一事故における原告の過失を過失相殺した後、さらに第二事故における原告の過失を過失割合に従つて過失相殺することは、原告の一個の過失を二重に評価することになる。そして、右のとおり被告誠一郎の行為と被告矢尾の行為とは共同不法行為の関係にあるというべきであり、このような場合に過失相殺をするにあたつては、右両者の過失と原告の過失とを対比して定める過失割合に従つて過失相殺をすべきであるから、被告矢尾の右主張は、結局失当というほかはない。)。

(二) 争点2(二)(第一事故と損害との間の相当因果関係)について

前記のとおり、第一事故については被告誠一郎に、第二事故については被告矢尾にそれぞれ過失があり、両者の行為の間には関連共同性があると認められること、後記認定のとおり、原告は第一事故及び第二事故により相当程度の傷害を受け、これによつて損害を蒙つたこと、前記認定の各事故態様からすると、第一事故、第二事故はともに原告に対して相当大きな衝撃を与えたもので、原告の各傷害について十分その原因となりうるものであつて、原告の受傷部位等によつて第一事故により生じたものか第二事故により生じたものかを分別することも困難であることを総合して考えれば、被告誠一郎の行為と被告矢尾の行為とは民法七一九条一項後段の共同不法行為にあたり、被告誠一郎の行為と本件各事故によつて発生した原告の損害との間の因果関係は、特段の反証のない限り事実上推定されるというべきである。

しかるに、本件全証拠によつても、第二事故のみによつて生じた損害を特定することはできず、右損害が存在することを前提とする被告誠一郎及び被告研次の主張は、その前提を欠くことになり、その余の点を判断するまでもなく失当である。

そうすると、被告誠一郎、被告矢尾及び三木車の共同運行供用者である被告研次は、連帯して本件各事故によつて原告に発生した損害額(ただし、前記過失割合に従つて過失相殺をした金額)金額について責任を負うと解するのが相当である。

四  争点4(損害額)について

1  治療費(請求額金一三〇万四五〇〇円) 金一三〇万四五〇〇円

証拠(甲一の七、甲三ないし五、甲六ないし九の各一、二、甲一一の一ないし三、丙一ないし四、検甲一の一ないし一二、証人青木和美、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

原告は、本件事故により、多発骨折(頭蓋骨、胸椎、腰椎横突起、肋骨右二ないし一〇、左五、六、右尺骨、右膝蓋骨、骨盤)、脳挫傷、心挫傷、肺挫傷、両血気胸、会陰、右大腿、右膝、左手関節部裂創の各傷害を負い、本件事故当日、大阪府立千里救命救急センター(以下「救命センター」という。)に搬送されて入院した。

救命センターにおける初診時、意識レベルはやや低下(翌日には清明)しており、貧血著明で出血性シヨツク状態であつた。そして、救命センターにおける原告の右各傷病に対する主な治療内容は次のとおりであつた。血気胸等に対しては、両側胸部からチエストチユーブが挿入され吸引等が施行された。各部の裂創に対しては縫合処置がなされ、右膝蓋骨々折に対しては、右膝に針金を突き刺す固定術がなされた。骨盤骨折に対しては、当初直達牽引がなされ、昭和六〇年二月二六日には観血的骨盤骨折整復術が施行され、その後もキヤンパス牽引、ギブスベツド等により骨折部位の固定がなされた。

原告は、同年五月二〇日に救命センターを退院し(入院期間九六日)、同日、自宅近くの市立池田病院に転医入院した。

市立池田病院においては、主として骨盤骨折に伴う右下肢機能障害に対してリハビリテーシヨン等の治療がなされた。原告は、同年九月一三日に同病院を退院した(入院期間一一七日)が、その後も、昭和六一年一一月二八日に原告の症状が固定するまでの間、右各傷病に対する治療のため、同病院への通院を余儀なくされた(実通院日数一一二日)。

そして、これらの間の治療費として、救命センター分金九六万八六六〇円、市立池田病院分金三三万五八四〇円の合計金一三〇万四五〇〇円を要した。

2  付添看護費(請求額金一一九万九九二〇円) 金三二万八〇〇〇円

右各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

救命センター及び市立池田病院とも建前上はいわゆる完全看護として近親者付添を要しないものとされていたが、原告の母(青木和美)は前記入院期間中を通じて、毎日午前一一時から午後七時までの間、原告に付添つていたものである。原告の母が原告に付添つたのは、ベツドに固定されチエストチユーブを挿入されているなどの原告の症状からして、常時原告の傍に人がいなければ必要な時に間に合わない状況であつたところ、右各病院では、完全看護とされてはいたものの、必ずしも必要な時に看護婦等が臨場するわけではなかつたことによる。

なお、原告は、救命センター入院後、同年二月二八日までは集中治療室で治療を受けており、この間、原告の母は原告と短時間面接する程度であつた。

以上の事実に、前記認定の原告の傷病及びこれに対する治療の経過を総合して考えると、原告の母の付添期間のうち、原告が集中治療室から一般病棟に移つた同年二月二八日から救命センターを退院する同年五月二〇日までの八二日間については、本件事故と相当因果関係があると認められるが、その余の期間についてはこれを認めるに足りない。

そして、近親者の入院付添費(付添のための交通費も含めて)は、一日あたり金四〇〇〇円と認めるのが相当であるから、八二日間で前記金額となる。

3  入院雑費(請求額金二一万二〇〇〇円) 金二一万二〇〇〇円

右のとおり、原告は昭和六〇年二月一四日から同年九月一三日までの二一二日間入院したが、その間の入院雑費は一日あたり金一〇〇〇円と認めるのが相当であるから、金二一万二〇〇〇円となる。

4  通院交通費(請求額金三万八〇八〇円) 金三万八〇八〇円

前記のとおり、原告は市立池田病院に合計一一二日間通院したものであるが、弁論の全趣旨によれば、通院一回あたりの交通費(バス代)は往復で金三四〇円であると認められるから、合計金三万八〇八〇円となる。

5  休業損害(請求額金一三四万九二六〇円) 金一三四万九二六〇円

前記認定事実に証拠(甲一〇、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

原告(昭和四一年一二月八日生、本件事故当時一八歳の独身女性)は、高等学校卒業後、昭和五九年一一月に、兵庫県尼崎市所在の化粧品店「しらかば」に就職し、本件事故当時も同店に勤務し、一月あたり金一三万五〇〇〇円の給料を得ていたが、本件事故により休職を余儀なくされ、本件事故の翌日から昭和六〇年一二月一六日に復職するまでの三〇四日間休業した。

右事実によれば、原告は、本件事故に遭わなければ、右三〇四日間にわたり、一月あたり金一三万五〇〇〇円の収入が得られたというべきであるから、原告の休業損害額は、次のとおり金一三四万九二六〇円(円未満切捨、以下同じ)となる。

一三万五〇〇〇×一二÷三六五×三〇四=一三四万九二六〇

6  後遺障害による逸失利益(請求額金三四二五万五六四八円) 金九七八万四四八八円

(一) 前記認定事実に証拠(甲六の二、甲八の一、二、甲九の一、二、丙一ないし四、検甲一のないし一二、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、救命センター及び市立池田病院において前記認定の治療を受けたが、胸腰椎横突起及び椎体圧迫骨折による脊柱の変形(側彎)、骨盤骨折による著明な骨盤変形及び右下肢の短縮(約二センチメートル)並びにこれらに伴う右腰臀部痛、右膝脱力感、跛行等の後遺障害のほか、右手関節部(五×一センチメートル、裂創による。)、両側胸部(チエスチユーブ挿管による処置後創)、右腰臀部(二一×一センチメートル、骨盤骨折に対する整復手術後創)、右膝部(六センチメートルの弓状痕、骨折部固定術後創)、右大腿上部(二×一・五センチメートル、五×一・五センチメートル)、左大腿(四×一・五センチメートル)、鼻の下(一センチメートル)の各醜状瘢痕を残して、昭和六一年一一月二八日症状が固定した。

(2) そして、その後自賠責保険の関係で、脊柱の変形は後遺障害別等級表一一級七号、骨盤骨変形は同一二級五号として併合一〇級に該当する旨の認定を受けたが、右各部位の醜状瘢痕については非該当とされた。

(3) 原告の前記後遺障害のうち、胸腰椎骨折、骨盤骨折に伴う脊柱障害について、原告の担当医師は、右障害は著明で今後変形が進行し、これによる内蔵障害、下肢長差などが増大する可能性が大きく、装具を着用することも必要となると思われ、将来妊娠、出産に際して障害になる可能性もある旨の意見を述べている。

(4) 原告は、前記のとおり、昭和六〇年一二月一六日に化粧品店「しらかば」に復職したが、普通に働けるようになつたのは復職後約一年経過してからであり、そのころから原告の給料も本件事故前の水準に戻つたが、原告の仕事内容が立ち仕事中心であつて、立ちながら働くと足がむくみ、疲れると腰臀部痛が増悪するところを、我慢しながら仕事を続けている。

(二) 以上の事実によれば、原告は、昭和六〇年一二月一六日以降元の職場に復帰し、事故前の水準の給料を得るようになつたものではあるが、右就労は脊柱や骨盤の変形等の後遺障害を負いながらも原告がその努力によつて継続しているものであり、さらに担当医師が右障害自体やそれに伴う内蔵障害、下肢長差などが増悪する可能性が大きい旨の意見を述べていることからすると、今後右後遺障害の増悪によつて就労の継続に支障を来たす蓋然性が高いといわなければならず、これらのことに前記後遺障害の部位、内容、程度(なお、醜状瘢痕については、これが原告の労働能力に直接影響を及ぼすものであることを認めるに足りる証拠はない。)、原告の年齢などを総合して考えれば、原告は本件後遺障害により、復職した昭和六〇年一二月一六日(当時原告は一九歳)から六七歳に達するまでの四八年間にわたり、平均してその就労能力の二五パーセントを喪失したと認めるのが相当である。

そして、前記認定事実によれば、原告は、本件事故に遭わなければ、一九歳から六七歳までの四八年間、毎年平均して昭和六三年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、高校卒の一八歳ないし一九歳の女子労働者の平均年収である金一六六万八〇〇〇円を下らない収入を得ることができたはずであると推認することができる。

そこで、右金額を算定の基礎とし、前記労働能力喪失率を乗じたうえ、ホフマン式計算方法により中間利息を控除して、原告の逸失利益の本件事故当時の現価を算出すると、次のとおり金九七八万四四八八円となる。

一六六万八〇〇〇×〇・二五×(二四・四一六-〇・九五二)=九七八万四四八八

7  慰藉料(請求額金一六七〇万円) 金九〇〇万円

以上認定の本件事故態様、受傷内容、入通院期間、後遺障害の内容、程度、原告の年齢に加え、原告は、本件事故及びその治療のために身体各部位に前記のとおり多数の醜状瘢痕を刻まれることになり、これらのうち身体露出面の瘢痕は比較的少ないものの、若い独身女性にとつて右瘢痕、特に両側胸部、腰臀部、大腿部等の瘢痕が大きな精神的苦痛になることは容易に推測しうるところであり(これらは、慰藉料算定にあたつては、女子の外貌醜状に準じるものとして、脊柱変形等の後遺障害による慰藉料とは別個に考慮すべきものである。)。さらに骨盤骨折に伴う変形等の後遺障害が妊娠、出産に際して障害になる可能性もあり、これにより原告が将来に対する強い不安感を抱くことも容易に推測しうるものであり、これらのことに本件において認められるその他の諸般の事情を総合して考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料としては、傷害分、後遺障害分を合わせて、金九〇〇万円が相当である。

8  過失相殺

前記のとおり、本件事故の発生については、原告にも四割の過失があるというべきであるから、原告の損害合計金額(前記1ないし7の合計金二二〇一万六三二八円)から四割を控除するのが相当である。

そうすると、被告らが賠償すべき金額は、金一三二〇万九七九六円となる。

9  損害の填補 金一〇四六万円

証拠(丙一、丙六の一ないし一一)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、本件交通事故による損害賠償として、自賠責保険から合計金一〇四六万円を受領していることが認められる。

そうすると、被告らが原告に対して賠償すべき損害残額は、前項の金額から右金額を控除した金二七四万九七九六円となる。

10  弁護士費用(請求額金一五〇万円) 金二七万円

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は、金二七万円と認めるのが相当である。

(裁判官 本多俊雄)

別紙図面

〈省略〉

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